儒学のすすめ
論語 現代語訳大全

03-26 『内面が伴わない行為は評価に値しない』

現代語訳

お師匠様が言われました。「人の上に立って寛容で無く、礼を行っても敬意が無く、葬儀に出向いても悲しまないのでは、このように振る舞う人のどこを見どころにしたものか私には分かりません。」

現代への応用(☑表示)

現代社会でも、役職に就いていることや、形式的に正しい行動をとっていることだけで、その人が評価されるとは限りません。肩書きがあっても他者に対する配慮がなく、礼儀を守っているように見えても心がこもっていなければ、周囲からの信頼は得られにくいものではないでしょうか。

例えば、管理職に就いていても部下に対して寛容さを欠けば、組織は萎縮してしまいます。また、儀礼的な挨拶や行事に参加していても、そこに敬意や共感がなければ、それは単なる形式にとどまってしまいます。外から見える行動が整っていても、その内側が伴っていなければ、人としての魅力や信頼にはつながりません。

孔子が示しているのは、人の価値は肩書きや形式ではなく、その行為にどのような心が込められているかによって判断されるべきだという考え方です。外面的な正しさだけで満足するのではなく、その内面が伴っているかを問い続けることが重要だと考えられます。

現代においても、自分の立場や行動が形だけのものになっていないかを振り返り、その中に寛容さや敬意、共感といった心が宿っているかを意識することが、信頼される人間関係や健全な組織を築く基盤となると考えられます。

原文・書き下し文(☑表示)

子曰。いわく。
居上不寛、かみかんならず、
爲禮不敬、れいしてけいせず、
臨喪不哀、のぞんでかなしまずんば、
吾何以觀之哉。われなにもってかこれんや。
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