03-22 『管仲の行為を通じて礼の定義の曖昧さが問われる』
現代語訳
(斉の国において、第二位の肩書”宰相”であった管仲の人物像について、)お師匠様が言われました。「管仲は、器量は小さいですね。」ある人が言われました。「管仲は倹約家でしたか?」 お師匠様が言われました。「(管仲:)管は、3つの邸宅を持っていたものの、その邸宅は公用を兼ねませんでした。どうして倹約家と言えましょうか。」ある人が言われました。「それでは、管仲は、礼を知っていましたか?」お師匠様が言われました。「周王朝の諸侯は門に生け垣を立てられましたが、陪臣の立場の(管仲::)管もまた、門に生け垣を立てられました。周王朝の諸侯同士の交流には盃を載せる台を用いられましたが、陪臣の立場の(管仲:)管もまた、盃を載せる台を用いられました。(管仲:)管が、もしそれで礼を知っているというなら、礼を知らない者などいなくなるでしょう。(管仲は、自身の立場をわきまえなかったのですから、礼をわきまえた者ではありません。)」
登場人物
- お師匠様 … 孔子本人。名は丘、字は仲尼。
- 管仲 … 斉の桓公に仕えた政治家。宰相であった。
現代への応用(☑表示)
現代社会においても、優れた実績や大きな成果を上げた人物が、高く評価される場面は多くあります。しかし、その評価が成果だけに偏ってしまうと、その人の振る舞いや価値観に問題があったとしても見過ごされてしまうことがあります。例えば、仕事で大きな結果を出している人が、組織のルールを軽視したり、自分の立場を越えた振る舞いをしたりしても、「成果を出しているから仕方がない」として許されてしまう場合があるものではないでしょうか。しかし、そのような状態が続けば、組織全体の規律や公平性は徐々に崩れていくと考えられます。孔子がここで示しているのは、能力や実績があることと、礼にかなった行動をとることは別であるという厳しい視点です。どれほど有能であっても、自らの立場や規範をわきまえないのであれば、それは本当に評価されるべき在り方とは言えないという考え方が表れています。現代においても、人を評価するときには結果だけで判断するのではなく、その過程や振る舞いにも目を向けることが重要だと考えられます。また、自分自身に対しても、成果を上げることだけを目標とするのではなく、それがどのような在り方のもとで成し遂げられているのかを問い続ける必要があると考えられます。成果と規範の両方が伴ってこそ、持続的に信頼される存在となるのであり、そのバランスを保つことが、より健全な社会や組織を支える基盤となるのではないでしょうか。
原文・書き下し文(☑表示)
| 子曰。 | 子曰く。 |
| 管仲之器小哉。 | 管仲の器は小なるかな。 |
| 或曰。 | 或るひと曰く。 |
| 管仲儉乎。 | 管仲は倹なるか。 |
| 曰。 | 曰く。 |
| 管氏有三歸、 | 管氏に三帰有りて、 |
| 官事不攝。 | 官の事は摂ねず。 |
| 焉得儉。 | 焉んぞ倹なるを得ん。 |
| 然則管仲知禮乎。 | 然らば則ち管仲は礼を知れるか。 |
| 曰。 | 曰く。 |
| 邦君樹塞門。 | 邦君は樹して門を塞ぐ。 |
| 管氏亦樹塞門。 | 管氏も亦た樹して門を塞ぐ。 |
| 邦君爲兩君之好、 | 邦君は両君の好みを為すに |
| 有反坫。 | 反坫有り。 |
| 管氏亦有反坫。 | 管氏も亦た反坫有り。 |
| 管氏而知禮、 | 管氏にして礼を知らば、 |
| 孰不知禮。 | 孰か礼を知らざらん。 |
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