03-21 『過去の出来事への節度ある対応』
現代語訳
魯の国の君主哀公が、国家の土地秩序そのものを象徴する祭祀施設で、土地の神様をお祭りする建物のお社について、宰我へ問われました。宰我は応じて言われました。「夏王朝の君子は松の木を使いました。殷王朝の人々は糸杉の木を使いました。周王朝の人々は栗の木を使います。栗の木は、”民間の人々を戦慄させる”という意味です。」お師匠様はこれを聞いて言われました。「好ましい発言ではありませんが、すでに成ったことについては、多く語りません。終わったことは、いさめません。過ぎたことは、咎めません。」(お師匠様は、宰我の軽率な解釈を戒められました。)
登場人物
- 哀公 … 魯の25代王。
- 宰我 … 孔子の弟子。孔門十哲の一人。名は予、字は子我。宰予とも呼ばれる。
- お師匠様 … 孔子本人。名は丘、字は仲尼。
注記・解説
「栗」は「戦慄」の「慄」の意味で、「栗」の音が「戦慄」に通じることから、宰我が”戦慄の意味”だと発言した場面です。
現代への応用(☑表示)
現代社会においても、すでに決まってしまったことや、過去に起こった出来事に対して、後から強く批判したり責任を追及したりする場面は少なくありません。しかし、そのような対応は、状況を改善するどころか、かえって対立や不信を深めてしまうことも少なくないものではないでしょうか。例えば、すでに完了した仕事や終わった判断について、後になって細かく問題点を指摘し続けても、実際の結果を変えることはできません。それよりも、その経験を踏まえて次にどう活かすかに目を向けるほうが、建設的な前進につながるものではないでしょうか。孔子がここで示しているのは、過去の出来事に対して無制限に言及するのではなく、状況に応じて言葉を控えるという判断の重要性です。すべてを正すことが必ずしも最善ではなく、時にはあえて触れずにおくことが、全体の調和や次への展開を保つうえで有効になることもあると示しています。現代においても、問題が起こったときには、その場で適切に対応することが重要であり、後から過度に責め立てることは必ずしも良い結果を生まないものと考えられます。過去にとらわれすぎるのではなく、そこから何を学び、どのように次へつなげるかを考える姿勢が、より健全で前向きな関係を築いていく基盤と言えるのではないでしょうか。
原文・書き下し文(☑表示)
| 哀公問社於宰我。 | 哀公、社を宰我に問う。 |
| 宰我對曰。 | 宰我、対えて曰く。 |
| 夏后氏以松、 | 夏后氏は松を以てし、 |
| 殷人以栢、 | 殷人は柏を以てし、 |
| 周人以栗。 | 周人は栗を以てす。 |
| 曰使民戰栗。 | 曰く、民をして戦栗せしむと。 |
| 子聞之曰。 | 子、之を聞きて曰く、 |
| 成事不説、 | 成した事は説かず、 |
| 遂事不諫、 | 遂げた事は諫めず、 |
| 既往不咎。 | 既往は咎めず。 |
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