儒学のすすめ
論語 現代語訳大全

03-11 『礼の本質は説明可能な知識ではない』

現代語訳

の国で、天子と諸侯が天子の先祖を配して行う”てい”が、伝統的作法にのっとらずに行われました。)

ある人が、”てい”の意義について問われました。

お師匠様が言われました。「てい”の意義を、私は、言葉として説明できるほどには知りません。本質を完全に理解している人がいるのでしたら、天下のすべてを手のひらの上に示すように理解しているでしょう。」

そして、手のひらを指さされました。

現代への応用(☑表示)

現代社会では、多くのことが言葉やマニュアルによって説明され、理解できるものとして扱われがちです。しかし実際には、本当に重要な事柄ほど、単純な説明だけで完全に把握することはできないものではないでしょうか。

例えば、優れたリーダーシップや信頼関係の築き方、あるいは組織の文化といったものは、いくら言葉で説明しても、その本質は実際の経験や積み重ねの中でしか理解できない側面を持っているものではないでしょうか。表面的な知識としては知っていても、それを現実の中で自在に扱えるかどうかは、まったく別の問題だと考えられます。

孔子がここで示しているのは、真に理解している人は、個別の事象を超えて全体を見通す力を持っているということです。それは断片的な説明や理屈の積み重ねではなく、全体像を直感的に把握するような深い理解に近いものです。

現代においても、知識を単なる情報として覚えるだけで満足するのではなく、それがどのような全体の中に位置づけられるのかを意識することが重要だと考えられます。そして、すぐに言葉で説明できないことに対しても、安易に理解したつもりになるのではなく、経験を通して少しずつ掴んでいこうとする姿勢が求められるのではないでしょうか。

すべてを言葉で言い尽くそうとするのではなく、言葉を超えた理解の存在を認めること。それこそが、この章が現代に伝えている大切なヒントであると考えられます。

原文・書き下し文(☑表示)

或問禘之説。るひとていせつう。
 
子曰。いわく。
不知也。らざるなり。
知其説者之於天下也、せつもの天下てんかけるや、
其如示諸斯乎。もろもろここしめすがごときか。
 
指其掌。たなごころせり。
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